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ペット連れで岩山の風景

ペット連れで岩山の風景

ここは岩の転がる山です。
1億5000万年も前からの古い岩山。
中生代の白亜紀に海だったところです。
悠久の時の流れに今の姿を示しているのです。

赤松やネズミサシが沢山生えています。
これらの木は栄養の無い痩せた所に生えているのです。
痩せたなだらかな山のてっぺんからは遠くの山並みまで見とおしが良い。
犬の散歩には風通しも良く爽やかそのものだ。
忘れてしまった子犬のころのように犬の足取りもかろやかだ。
悠久の自然1


悠久の自然2


悠久の自然3


悠久の自然4


悠久の自然5


悠久の自然6


悠久の自然7


悠久の自然8


悠久の自然9


悠久の自然10


犬とはどんな生き物だろう。 人が犬を飼う理由は色々あるが本質を考えると心の通い合いを求めるからだろう。
心の通い合いを共にする犬を家庭犬とよび、犬の特別な能力を生かす専門の犬もいる。
盲導犬、警察犬、猟犬などの訓練によって目的を遂行できると判断された犬たちと家庭犬は区別して考えないといけない。
家庭犬はダメ犬と考える人もいるがそれは間違いです。
犬のDNAを調べる事で盲導犬になる適性度を調べられるようになっています。
犬を幾ら訓練しても目的とする能力まで高められるかどうか、特殊な能力には特殊なDNAが必要であり、家庭犬には万能的な能力が必要なのです。
一万年以上も絶える事無く飼い続けられた犬には家庭犬のDNAが基本として持っているのです。
人間が今日に於いても高等動物と共有している古い歴史的な特性と能力の背景のなかに明確に存立しているのである。
動物が人間に勝るという揚言は全くの冒涜だ。
軽々しく神の名を用いることをしない批判的な生物学者にとってそのような主張は生物の世界の創造的な発展にたいする悪魔的な否定を意味するものである。
不幸にも嘆かわしいほど多くの動物愛好者たちとくに動物保護に関心を持つ人びとがこの倫理的に危険な見解に加担している。
生きとし生けるものへのより広くかつ普遍的な愛から発する動物たちへの愛情のみが美しく啓発的なのでありその愛のもっとも重要でかんじんな要点はつねに人類愛でなければならない。
この愛をもつ者だけが道徳的な危険なしに動物に対して愛情を注ぐことか出来るのだ。
人間の弱さに失望し怒りを覚えその愛を人間から反らしてペットやネコにあたえる者は重要な罪を犯しているのであり唾棄すべき社会的な倒錯行為を行なっているのである。
人間への憎悪と動物への愛は非常に悪しき取り合わせである。
もちろん何かの理由で社会的な接触を失くした孤独な人にとってペットを手に入れ愛し愛されたいという内面の渇望を癒すことに害はなく理にかなってもいる。
それは自分の帰宅を喜んで迎えてくれる者が少なくとも一人はいてもう世界のなかで独りぼっちでいる孤独を味わうことが無いという事実を示すものだからである。
主人とペットが調和よく一致することについての研究は動物と人間の心理学の見地からは非常に教訓的であり時として極めて愉快なものでもある。
選ばれたペットの種類によって多くのことが示されるしさらに多くのことが後になって主人とその庇護者の間に発展する関係によって明らかにされる。
人間関係とまさに同じようにここでも非常に大きな釣合いと等しく全くの不釣合いもまた屡々お互いの幸福を齎すものだ。

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