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ペットの犬は 私のアニマル

私のアニマル
興奮性・活動性= 
攻撃性= 
訓練性= 
体高:  体重: 
私のアニマル

私の小さい頃、虫や魚を採るのが好きでした。
家のかいどや学校の運動場に穴が開いています。
その穴にスギナを挿しておくとしばらくするとスギナが持ちあがってきます。
ソーっと近づいてスギナをさっと引き抜くと虫が繋がって出てきました。
頭が平らで穴にピッタリと蓋になる大きさで、細長い幼虫でした。
何匹釣れるかが楽しみだったのです。

れんげや菜の花・みつばが咲くとミツバチが集まってきます。
両手でパンと挟むようにたたくとミツバチに刺されずに捕まえられます。
お尻の方からおなかを引っ張り出して食べました。
みつが有って甘いのです。
魚は、どじょうやあぶらへそれとやつめが採れました。
魚を掴まえて帰るとおつけの実になって出ました。

うぐいとかヤマメも居ましたが子供にはとても捕れませんでした。
私が最初に飼った動物は猫です。
小学校に入る前の年ににさぶろさの垣根の中から猫の鳴き声が聞こえたのです。
けいこちゃんと表にいったり裏から探したりしてやっと子猫を捕まえました。
黒勝ちで手足に白足袋を履いた雌猫でした。
母は良く世話をしてくれました。
ある時、肥溜め付きの便所に落ちたのを救い上げて洗ってくれました。
底無し沼のようで相当臭かったようです。
小さな私にその事を何度も話してくれました。
自分もネコのタマもうんこまみれになって、洗っても洗っても臭かったと。
タマは一度出産しましたが、死産でお尻から子猫をぶらさげて走り回っていたと思います。
その後妊娠することなく6年間家に住んでいましたが、ぷっつりと居なくなりました。
猫は死ぬとき何処かへ行ってしまうと聞かされました。

これが、私の最初のペットです。
としよりのひとり言。

ここに一本の杜松がある。

ほとんど手入れされていないが、何となく"面白い木になりそうだ"という感じがある。

出会いである。

回転台にのせ、あれこれと検討してみる。

手が動き、時に休む。

ひとところに静止する時間が長くなり、再び回転台が大きく廻って、ほぼ反対側でまた、静止する。

やがて、大きな意志の力で回転台は強く廻り、再び元の位置に戻る。

固定されたかのように、微動だにしない。

眼が輝やき、笑顔すらこぼれる。

正面は決定した。

この瞬間から、おそらくこの種木がもっていたであろう諸々の可能性は、たった一つに凝縮する。

いや、潜在的でしかなかった可能性が、明確なかたちとなって表われたのである。

それは、盆栽としての可能性に他ならない。

一本の杜松は、一つの強い意志の力で支配された。

そして、その意志の中で、さらに新しい生命を得る。

限りない時空のうねりの彼方へと、大きな翼を拡げ、いまにも飛び立とうとするかのような気配を漲らせる。

……手が、動きはじめた。


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